ブランド : | メーカーズシャツ鎌倉 |
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襟 : | ボタンダウン |
袖丈 : | 長袖 |
ポケット : | なし |
色 : | 白 |
柄 : | 無地 |
生地 : | オックスフォード |
素材 : | 綿 100% |
カフス : | シングルカフス |
原産国 : | 日本 |
前立て : | 表前立て |
2024年9月19日
「Kamakura Shirts New York Order Salon」が、
ニューヨークの中心地に位置するグランドセントラル駅直結の
The Graybar Building内に無事オープンいたしました。
この新たなステージを記念し、
特別なシャツを限定販売いたします。
完成したのは、胸元に記念ロゴを施した一着。
生地には、しっかりとした風合いの「オックスフォード」と、
カジュアルな「デニム」の2種類をご用意しました。
さらに、メンズ・レディース両方のパターンで展開しております。
1990年代初頭、創業者の貞末良雄が起業を決意したきっかけは、「日本人の男性をおしゃれにするという私の意志を引き継いでくれる人はいないのかね」というある人物からのひと言だった。その人物とは、1960年代、70年代にアメリカのアイビースタイルを日本に紹介し、一世を風靡したヴァンヂャケット創業者の故・石津謙介氏だ。良雄と妻のタミ子は昔、ヴァンヂャケットに勤務していた。
ヴァンヂャケットは1978年に事実上、倒産してしまったが、当時からの恩師である石津氏に、良雄は「それでは、私がシャツ屋をやります」と即答。その時、すでに53歳だったが、長年、密かにあたためていた事業構想があった。それは既存のビジネスモデルを覆す、上質で納得価格のシャツ専門店だった。
タミ子(22歳)。
1968年、VAN社員旅行時の集合写真
- 1965年、アメリカのアイビーリーガーを撮影した写真集『TAKE IVY』初版本。婦人画報社(現ハースト婦人画報社)刊。貞末良雄所蔵。 ヴァンヂャケットの取材班が2週間かけてアメリカ東部アイビーリーグのキャンパスをまわり撮影。太平洋を越え、石津謙介氏率いるヴァンヂャケットがアイビースタイルを日本で根付かせた。2010年、英語版『TAKE IVY』がpowerHouse Booksより復刻された。
男性のおしゃれに欠かせないアイテムがシャツ。中間コストを徹底して削減し、最高品質のメードインジャパンのシャツを納得価格で販売すれば、品質を見極めるお客様に必ず受け入れられるに違いないという確信があった。そして、衣料品店を営んでいた良雄の父・貞末慶一の「商人は、お客様に喜んでもらって初めて、その分け前をいただける。人のために身を粉にして働いて生計を立てるものである」という教えに従い、商人として商いの正道、すなわち「商人道」を貫くことを心に誓った。
こうして、1993年11月7日、夫婦二人三脚で、鎌倉の目抜き通りから外れたコンビニエンスストアの2階に小さなシャツ専門店をひっそりとオープンした。企業理念は「世界で活躍するビジネスパーソンをシャツで応援する」。
ヴァンヂャケット勤務時代から憧れていたアイビースタイルの本場であり、ビジネスメンズウェアの聖地・ニューヨーク。いつかは、この地で認められる世界に通用するシャツブランドとなる日を夢見てーー。
1996年11月、移転オープンした鎌倉シャツ本店にて。
世界に通用するシャツ。それには、ビジネスメンズウェアの聖地・ニューヨークで認められる必要がある。山に例えればエベレストに登るような難易度だ。日本の名前を冠した日本ブランドとして挑戦し、日本の繊維業が世界で戦えることを証明したかった。2008年5月から出店調査を開始。候補地のマディソン街のテナント料は想像を絶するほど高額だったが、同年9月にリーマンショックが起きると空き物件が出てきた。
そして2012年に入り、理想的な物件に巡り合う。しかし、ビルオーナーからは「日本人がシャツ屋をニューヨークに?アメリカ人が寿司屋を銀座に出すのと同じだ」と断られてしまう。この窮地を救ったのは、『THE IVY LOOK』の著者で日本のアイビーにも詳しいイギリス人のグレアム・マーシュ氏だった。
良雄は、アイビーに対する思いを手紙に綴り、1枚のボタンダウンシャツとともにイギリスにいるマーシュ氏へ送った。すると、シャツの品質と鎌倉シャツのヴィジョンに賛同してくれたマーシュ氏がビルオーナーへ推薦状を書いてくれたのだ。それが功を奏して交渉は進展した。
日本語訳:「私たちが『THE IVY LOOK』を書いた時、伝統的な米国のアイビーリーグスタイルに対する日本人の思い入れを強く感じていました。また日本ならではのファッション への取り組み方である、品質へのコミットメントと細部へのこだわりが特筆すべきことであることも知っていました。ですから日本で最高級のシャツメーカーである鎌倉シャ ツがアイビールックの本場ニューヨークに出店するのは、まったく自然な事と言えるでしょう。」
(Frances Lincoln刊)。
そして2012年秋に開店できる運びとなり、7月から店舗工事が始まった。工事中の店の囲み看板には、マーシュ氏の推薦メッセージとともに、『The IVY LOOK』の表紙と日本のアイビーやヴァンヂャケットについて詳述されているページ(P180「EAST MEETS WEST:East beats West」)も掲げた。そのページには、「日本の情熱的なファンがアイビーリーグルックを新たな高みに押し上げた」と書かれていた。アイビーの本場・ニューヨークで認められるには、アイビーを深く研究し大切にしていることを伝えなければならなかったからだ。
工事期間中、立ち止まって読み入る
ニューヨーカーも数多くいた。
約3ヶ月の工事期間を経て、2012年10月30日、ついにニューヨーク店「Kamakura Shirts」がマディソンアベニュー400にオープンした。
開店のオープニングレセプションには、イギリスからマーシュ氏もお祝いに駆けつけてくれた。
店の前に立つ良雄とタミ子。
マーシュ氏(右)と現社長の貞末奈名子(中央)。
この時、マーシュ氏と良雄は初対面だったが、ニューヨーク滞在中にマーシュ氏から「私の理想のボタンダウンシャツを作ってくれないか」と打診された。マーシュ氏は、こだわりのディテールを良雄に力説し、「1960年代の本物のアイビーウェアを復刻させよう」と意気投合。良雄は必ず実現することを約束して帰国した。
この出会いから、翌年の2013年、マーシュ氏とのコラボレーション企画「VINTAGE IVY COLLECTION」がスタートした。以来、今でも続く人気のCOLLECTIONとなっている。
襟後ろのボタン、
ボックスプリーツにロッカーループなど、
クラシックアイビーのディテールを再現。
高品質な日本製のシャツは、ニューヨークでも評判となり、日本と同様、口コミをベースに現地のお客様の支持が拡大していった。
出店直後に、現地のブロガーに紹介されると瞬く間にネット上で話題となった。その後は、『Smithsonian』や『GQ』といった影響力のある雑誌にたびたび掲載され、2019年、米国・ウェブ版『GQ』の特集記事「The Best White Dress Shirts」にて、「Kamakura Shirts」がトップに掲載された。彼の地で、日本のブランドが世界のブランドとなった証だろう。
順風満帆に事業が進展する一方で、創業者夫妻の生活は公私共に激変していた。2018年8月、妻でありビジネスパートナーのタミ子が病に倒れ、良雄は仕事と介護に追われる日々が続いていた。約1年半、休むことなくタミ子の介護に当たるが、やがて自身も体調を崩し、入院を余儀なくされてしまう。79歳の良雄は、自らの代表権を、20年以上一緒に働いてきた長女の貞末奈名子に譲り、2020年2月、経営の全てを託すことにした。
両親から事業を引き継いだ奈名子だが、ほどなくして新型コロナウイルスが猛威を振るう。社長就任早々に創業以来の未曾有の事態に直面することとなった。
そして奈名子は、コロナ禍で苦渋の決断をした。ニューヨークからの撤退だ。店舗を営業できない日々が日本とニューヨークで続き、会社を守るためには致し方ない選択だった。良雄の悲願であり、自らも開店準備から主導してきたニューヨーク店を2020年末にクローズした。だが、奈名子は、再びニューヨークに戻ることを胸に誓っていた。閉店したその時から、再出店することが会社の目標となったのである。
そして2024年9月、2012年からニューヨークで築いたお客様に支えられ、約4年ぶりに再進出を果たした。今の時代に合う、よりパーソナルなサービスを提供するために完全予約制のオーダーサロンをグランドセントラル駅直結のThe Graybar Building内にオープンした。
日本人スタッフがきめ細かな接客でお客様をおもてなしする。
ヴァンヂャケットのDNAを脈々と引き継ぐ鎌倉シャツ。創業の時から、良雄にとっても会社にとってもニューヨークはずっと夢の舞台であり特別な場所なのである。この地から、世界に通用するシャツブランドの頂きへ。世界で活躍するビジネスパーソンをシャツで応援するために、あくなき挑戦は続く。