小林が語る、PITTI UOMOからみるトレンドとその周辺。
まずは、PITTI UOMOについてご紹介しましょう。 正式名称は、【PITTI IMMAGINE UOMO】と言い、1月と6月にイタリアのフィレンツェで開催される世界最大のファッション展示会です。世界の名だたるトップブランドがブースを構え、次シーズンのブランドコンセプトや商品ラインナップを発表します。それを目掛けて、世界中からバイヤーやプレスなどのファッション関係者がフィレンツェに集まり、その数は推定5万人ともいわれています。鎌倉シャツでは、毎シーズン必ず一名は、販売スタッフから選抜メンバーを選出し、世界の舞台を経験してもらっています。かくいう私も、丸の内店時代の2012年に初めてのPITTIを経験し、企画部への憧れを強くしたものです。
さてここからが本題です。
昨年6月に開催されたPITTI UOMO 96についてお話ししていこうと思います。まず左の写真を見て頂くと分かる通り、ビビットな色味が復活してきています。一年前はコロニアルカラーといって、ブラウンやカーキといった土臭いカラーが主流でしたが、一転しました。オレンジやテラコッタ、イエローやマスタードといった色味を挿し色に提案しているブランドが多く見られました。
カラーの次に、服装に関しても触れておきましょう。
ネクタイをしている方は、ほとんどいらっしゃらないです。ネクタイ担当の私からすると寂しい話ですが、これが紛れもない現状です。会場に来ている方の多くが、クルーネックセーターや半袖Tシャツをインナー替わりに使っていました。そもそもシャツも着ない・・・汗
その中でも全体に言えるテーマが『軽さ』。軽いジャケット、軽い表情のトラウザーなど、軽快感がキーワードです。素材でいうのであれば、リネンやシアサッカー、などなどが全体としての傾向として挙げられています。
それではアイテムごとに更に深く見ていきましょう。
まずはシャツ。80年代前後のアーカイブを復刻したようなレトロな柄のプリントシャツが多く見られました。素材でいうと、リネンやシアサッカー、ディテールでいうと、バンドカラーや4ポケットやダブルポケットといったところでしょうか。4ポケット、ダブルポケットシャツは134でも販売しますので、楽しみにしていてください。前者はナポリ、後者は日本で作った自信作です。
ジャケット、ニットにいきましょう。
ジャケットに関しては、シャツジャケットの様な薄く軽い仕立ての物が多く見られました。柄としては、ストライプ系も傾向で、シンプルなストライプというよりは、広幅であったり、レトロな雰囲気だったり様々な提案です。シャツやネクタイを合わせることを前提としていなく、クルーネックやTシャツと合わせるので、主張が強いジャケットが増えてきているのだと思います。
ニットは、クルーネックがもはや定番的アイテムと思うほど、様々なゲージやデザインで提案されています。ジャケットの下にTシャツだとカジュアル感も強すぎる、そういった場合にクルーネックは便利です。鎌倉シャツのクルーネックもインポートに負けない自信作ですので、強くお勧め致します。
トラウザーは、ジャケットの素材で軽いものが増えていますので、トラウザーもそれに準じて軽い素材が多くなっています。ディテールとしては、プリーツやサイドアジャスターなど英国的仕様も残っていますが、最も注目はドローコード搭載のイージートラウザー。シルエットは、裾に向かってはテーパードに落ちていくスリムフィットが主流です。何度も宣伝して恐縮ですが、134でもシアサッカー素材で2プリーツのドローコード搭載トラウザーがありますので、是非チェックしてみてください。
色々申しましたが、トレンドは見る方の視点や感性によって、微妙に違うかと思います。もしかしたら他社で紹介しているものが、鎌倉シャツにはないのかもしれません。ですが、あくまで『トレンドをいかに編集して鎌倉シャツらしさを出すか』が、我々バイヤーチームに求められていると思います。鎌倉シャツは独自の素材背景を持ち、ファクトリーと直接取引をすることで、ダイレクトに情報をゲットすることができる珍しい会社です。
どなたでもトライしやすく、永久定番となり得る商品を、リーズナブルにお客様にお届けしたい。カジュアルでもドレスでも、そして、どのアイテムであってもその気持ちは変わりません。
今後ともぜひ、大いにご期待ください。
メンズバイヤー 小林良輔
『134』 誕生から、10年。
ー 皆様、こんにちは。2020年で134ブランドはついに10周年を迎えます。ブランド創設から関わってきたディレクターの哲兵さんと、2014年よりバイヤー兼モデルとして活躍中のコバさんを迎えて、様々なことを聞いていこうと思います。お二人ともどうぞよろしくお願い致します。
哲兵 よろしくお願いします。
コバ よろしくお願い致します!
ー 早速ですが、この134ブランドはどのようにして生まれたか教えてください。
哲兵 このブランドの始まりは、洗いざらしのオックスフォードシャツに、単純な刺繍をして展開したのがスタートでした。当時は鎌倉本店と出来たばかりの大船店で細々と展開していました。
コバ わざわざ大船まで買いに行った記憶があります。ちなみに哲兵さん、134って何のことか分からない方もいらっしゃると思うので、再度説明お願い致します。
哲兵 そうだよね。134の由来は、鎌倉が誇る美しい国道134号線からきています。鎌倉シャツは、当然の如く鎌倉が発祥ですから、湘南エリアなどに合う上質なカジュアルウェアを提案したいというのがスタートです。
ー なるほど。最初に展開した洗いざらしのオックスフォードシャツは飛ぶように売れたそうですね。その後の展開はどのように考えていたのですか?
哲兵 カジュアルウェアというのは競合も多く、非常に難しいマーケットだと思います。しかし我々が持つ、素材の良さ、縫製の良さを生かして、先ほども言いましたが、『上質なカジュアル』を実現できれば、もしかしたら5年後、10年後に生きてくるかもしれない、これは研究していく意義があると思っていました。日本でシャツを作りながら、その中で毎年ネクタイの仕事で訪れていた南仏・ニースのブランドの作るカジュアルウェアが凄くこなれていたのです。
コバ 僕がネクタイバイヤーになる原点を作ってくれた、あのブランドですね。
哲兵 そう。日本ではネクタイの印象が強いこのブランドですが、実はトータルブランドとして世界的に有名なのです。ネクタイはフレンチトラッドをベースにしていますが、その他のアイテムも同じで、鎌倉シャツのカジュアルのイメージと合致しました。そこで134ブランドで10アイテムほど少量バイイングし、鎌倉シャツの数店舗でテストマーケティングすることにしたのです。
コバ 確かシャツを始め、美しく製品染めされたブルゾンやジャケットでしたね。その当時は製品染めのイタリア製が世の中を席巻していて、僕は哲兵さんに言われるがままベージュのコットンジャケットを買った記憶があります(笑)
哲兵 儲け度外視のテスト販売はうまくいったのですが、問題はコストが高かったので、これをビジネスにするという次の課題に直面しました。鎌倉シャツの原価率では、メーカーからバイイングするだけではダメで、工場と直接取引し、コストを落とさなければならないのです。そこから、イタリアの工場を探す旅が始まり、頻繁に海外へ飛ぶようになりました。
ー さて今のところ静かなコバさんですが、134とはいつから関わりがあるのですか?
コバ 入社して3年目で秋葉原店の店長をやらせていただく事となりました。店長になる前月に哲兵さんと2週間のヨーロッパ出張に行かせて頂く機会があり、そこで134を始め、様々な話をさせていただきました。
哲兵 懐かしいね〜、もう8年も前か。
コバ 当時の秋葉原店は、特に個性もなく、平日休日で売上の波もなく、いわゆるごく普通の店でした。そんな中、ふとお客様の取り寄せ商品ボックスを見た時に驚いたのですが、なんとデニムシャツばかりだったのです。
哲兵 ちょうどデニムシャツを鎌倉本店とオンラインショップで始めた時だね!今では134というよりかは、会社的な絶対定番だよね。
コバ もしかしたら、秋葉原店にはカジュアルの可能性があるのではないか。そう思って、休みの日に秋葉原のヨドバシカメラの前で行き交う人々の服装を徹底的にチェックしに行ったこともありました(笑)
哲兵 それは初耳!!!(笑)
コバ しかし、カジュアルの展開店舗が鎌倉本店に次いで秋葉原で良いのか、凄く悩んだのですが、ちょうどその時に先ほど話した南仏のブランドのウェアが日本に入ってくるタイミングでした。
哲兵 その連絡をコバにしたら、是非ともチャレンジしたい、秋葉原店を人が呼べるすごい店にしたい!!そこまで言うのならと、商品を振り分けることにしました。
ー 当時の秋葉原店でどのように展開するかイメージはあったのですか?
コバ 正直言って全くありませんでした(笑)とにかく何かにチャレンジしたかっただけでした。その思いに致し方なくスタッフも付いてきてくれたのは、ラッキーでしたが。
哲兵 コバのピュアな思いに勝るものはないよね。当時の秋葉原店のスタッフ全員は最初疑問に思いながらも、コバを応援していました。僕は、展開した日に秋葉原店に行こうと思ったんだけど、イギリスに行く予定があって行けなかったんだよな〜。
コバ そう!展開した日は大変でした!哲兵さん以外に特に何も言わずに水面下で勝手に始めたので、色々な方、上司から『勝手に何しているんだ!?』と凄く怒られました。今思えば当然ですよね、、、(笑)この冊子を読んでいる社員の皆様、報連相は大事ですよ!
哲兵 そんな最中、僕は機内にいたので怒られていることも知らず(笑)
ー (笑)秋葉原店では良く売れましたか?
コバ 飛ぶように売れました!まだ展開店舗も少なかったこともあり、都内のお客様や普段絶対来ない都内のスタッフも来てくれました。展開するアイテムでこんなにも集客力があるのかと、服の持つ力を改めて感じました。
原価より上代が安い
哲兵 しかし、展開方法はひどかったね!レジ近くの畳1畳程度のスペースしかなかったのもかわいそうだったけど、めちゃくちゃに商品が山積みされていた。(笑)それでもコバが真剣にやっているから何も言えなかったよ。
コバ その後は、あのFEDELIのジャケットを展開したこともありました。あり得ないプライスで売っていまして、その情報を聞きつけた当社スタッフが秋葉原店に殺到しました(笑)
哲兵 世界最高峰のアイテムを体感してほしいと言う会長の思いもあって、PITTIで買い付けました。原価より上代が安いという、採算度外視どころか、売れば売るほど赤字のジャケットでした。今だったら絶対無理(笑)
ー 年間3,000本売るナポリパンツはいつからだったのですか?
哲兵 現在のナポリパンツのファクトリーは、イタリアの知人から紹介してもらいましたが、私自身でも3社ほどパンツファクトリーを訪れました。数社訪れた中、ダントツで良かったのが、今も関係が続いているナポリ近郊にあるファクトリーです。
コバ 哲兵さんから、『イタリア製のパンツを1万円以下で販売できるかもしれない』とお話があったときは興奮しました!当時僕が欲しかったINCOTEXやGTAは3万円以上しましたから。服とビールでお金が消えてく貧乏な僕には夢みたいな金額でした(泣)
哲兵 今でこそPITTI UOMOで大盛況のブランドとなりましたが、当時は無名で日本にもそこまで入ってきていませんでした。多くのイタリア専業パンツブランドが、低コストを求めて東欧に拠点を変えていく中、このファクトリーはイタリアで作ることに自信と誇りを持っていました。
ー 初回の発注数は何本だったんですか?
哲兵 700本です(笑)
コバ ちなみに展開店舗は鎌倉・秋葉原・オンラインショップの3店舗だけですよ(笑)
哲兵 初回の発注ですので、現地のファクトリーと直接取引するには、ある程度の量を発注しなければ信用されません。展開店舗が少ないのは不安でしたが、絶対に売れるという自信はありました。イタリア製のパンツで革命を起こしたい、我々のお客様に喜んでいただきたい、その一心でした。
コバ そうは言っても僕も最初は疑心暗鬼でした。すると突然、哲兵さんから電話あって『200本送っておいたから宜しく!』以上で、すぐに電話を切られたんですよ(笑)
哲兵 当時、イタリアから入荷すると、日本の倉庫に一人で行って、検品して、各店に出荷し、その翌日はイタリアに飛んでいました。今考えると、あの頃の行動はほとんど病気ですね。(笑)
ー 実際の売れ行きはどうでしたか?
コバ まず自分で買って履いてみたんです。それがもう最高で、5色展開だったのですが、全色買いました。細かい商品知識もないですから、とにかくお客様には『僕も履いているんですが、最高ですよ!』と言うだけ(笑)
哲兵 ある意味一番説得力があるよね。自分で履き倒しているんだからね。
コバ 秋葉原店の売上が異常に良くなってきて、新宿三丁目店も展開を始め、徐々に展開店舗も増えてきました。
ー それが今では134ブランドを代表する商品になりましたね。今では年間何本ですか?
コバ 今では年間3,000本売っています。色々ありましたが(笑)
哲兵 ナポリのファクトリーと直接やっていますが、上手くいくことの方が少ないですね。月に1回ナポリに行ければ良いのだけれども、そうはいかないですから。
コバ 失敗は成功の素という言葉を実際に仕事しているとより痛感します。134はある意味沢山失敗してきたからこそブランドに深みが出ていると勝手に思っています。
哲兵 失敗の度に多くの皆様にご迷惑をお掛けしてきましたが、今となったら数々の失敗が笑い話になっている場合もある(笑)そのたびにしっかりと改善しなければなりませんが。
コバ セットアップで発注したら、上下で色も混率も違ったり、ストライプで頼んでいたら無地で来たり、急に袖の仕様がアンフィニッシュになったり・・・
哲兵 他にも沢山あるけど、それくらいにしておこうか(笑)
ー 話を戻しましょう。 その後コバさんが秋葉原店からメンズ企画に来たのはいつでしょうか?
コバ 2014年の4月です。当時は小物専門店もありましたし、ネクタイの売上も右肩上がりでしたから哲兵さんの補佐で企画に異動することになりました。
哲兵 そこからは2年ほど徹底的に彼と行動を共にし、様々な国に行きました。イタリアは勿論のこと、イギリス、スペイン、ポルトガル、ドイツ・・・
コバ ポルトガル生産はまだ134では叶っていませんが、大変魅力的でした。イタリアと同等レベルの商品が半分の価格で作れますから。
哲兵 しかし、コントロールが難しい。サイズ感だったり、商品の微妙な雰囲気だったり。一応、134 MADE IN Portugalのブランドロゴはできているのですが(笑)
遂にナポリシャツ登場
ー そんな中、遂にナポリシャツの登場ですね。哲兵さん経緯を教えてください。
哲兵 定期的にイタリアに行っていましたから、様々な情報が入っていました。そんな中、まだあまり有名じゃないけど、ナポリに素晴らしいシャツファクトリーがあると聞いて、共にイタリア出張に来ていたコバとミラノで分かれて、私は単独でナポリに向かいました。
コバ 僕は単独でミラノでマーケットリサーチしながら、事前に目星を付けておいた美味いラーメン屋に向かいました(笑)
哲兵 ナポリに着いたのはいいのですが、集合時間になってもナポリのシャツ工場の方は待てど暮らせど一向に現れません。何と待ち合わせの3時間遅れでやって来ました(汗)『渋滞に巻き込まれた、すまん!』と全く悪ぶれることもなく、彼の原付バイクの後ろに乗ってファクトリーに向かいました(笑)
コバ 衝撃的な出会いでしたよね。やっぱりイタリア慣れしていた哲兵さんでもナポリは怖かったですか?
哲兵 美しい景色と危険さが混在している謎の街というのが最初の印象だったよ。それよりも彼らが作るシャツに度肝を抜かれました。着てみると何か鎌倉シャツを着ている自分よりカッコ良くなった気がしました。
コバ 丁度直近に行ったPITTI UOMOで、僕と哲兵さんは鎌倉シャツのリネンシャツを着ていたんです。ジャケットを着ずにシャツ一枚で。 何か周りと比べると『僕たちダサくないですか?』と話していたのを思い出します。
哲兵 多くのイタリア人もシャツ一枚で歩いていましたが、何かカッコいい。何だろうとずっと考えていましたが、運良く直ぐにナポリシャツに出会いました。
ー でも鎌倉シャツは日本製のシャツを販売する会社です、迷いはなかったんですか?
哲兵 僕自身も鎌倉シャツのクオリティには絶対の自信を持っていましたが、更に上を知ってしまった以上は、どうしてもやりたいと思いました。
コバ 僕も世界一のシャツ屋として社員全員が自信を持って取り組んできた会社で育ったので、最初哲兵さんからその話を聞かされた時は驚きました。でも僕も哲兵さんからナポリのシャツをもらい、着てみたら本当にカッコ良かったので、逆に鎌倉シャツが更に進化するために、少量で研究だけでも良いからやるべきと思うようになりました。
哲兵 当時着ていたのは、僕とコバだけでした(笑)
ー 肝心の会長はどう思っていたのでしょうか?
哲兵 うーん、正直なところは分かりませんが、彼は本質を見抜く天才だと思います。僕が会長に1枚プレゼントしたのですが、翌日着てくるなり『哲兵!このシャツは異次元だな!』と言ったのが今でも印象的です。会長はすぐに鎌倉シャツの進化のために、検証・研究するように僕に指示をしました。
コバ あの時の会長の言葉、今でも覚えています。その後はニューヨークのパーティーでも着ていましたからね!
哲兵 その後、日本有数のシャツのスペシャリストである宮澤さん、日本モデリスト協会会長である柴山先生のご協力の元、マンハッタンモデルが誕生することになります。
コバ 134がナポリシャツを取り扱ったことで、現在では当たり前となっているマンハッタンモデルが生まれたんですよね。
ー その後には、9箇所ハンドメイドのシャツも展開しました。
コバ 良く知っていますね(笑)誰も知らないと思っていました(笑)
哲兵 先ほど話したファクトリーとは別のファクトリーと知り合うことができました。彼らの名前こそ出せませんが、元々はあのルイジボレッリにいた職人達が作り上げた実力派ファクトリーで、特に手縫いの工程は芸術的です。
コバ レーベルは『9/134』ですよね、その名の通り、9箇所のハンド工程があります。また、既成品ではほぼ不可能なバストとウエストの差寸をドロップ9で作ったス・ミズーラ的なラインというのも意外と知られていないポイントです。
哲兵 彼らと仕事をしていくうちにジャケットやスーツなど、ハンドメイドのナポリの技術に魅了されることになりました。何でここまでこだわるか、なぜナポリなのか、うちの社員にも良く聞かれるのですが、全ては鎌倉シャツの進化のため、最終的にはナポリに勝つため。相手を知らなければ、勝つこともできない。ナポリとの距離が分からないままに、シャツを作ることは出来ない。ナポリとの距離が分かればいつか追いつくことができると思います。今はナポリとの距離が少しずつ見えてきた段階ですね。まだまだマンハッタンモデルも完成ではなく、134も道半ばです。
コバ 仰る通りですね、今はとにかく勉強させてもらっていますが、いつかは彼らの土俵で勝負したいですね。僕は常々、哲兵さんにも言っていますが、近い将来PITTI UOMOに出展して、世界のトップブランドと対等に勝負したいと思っています。
哲兵 ただ出るだけでなく、勝負しなければ出る意味もないからね!そして、勝負するからには必ず勝ちたい。
これからの『134』
ー 最後になりますが、134の今後のヴィジョン、考えていることを教えて下さい。
コバ ではまずは僕から。最初はフレンチトラッドでスタートしたブランドで、鎌倉シャツもトラッドなブランド。134はそこまで拘りなく、時代の流れを汲み取りながら、進化してきたブランドだと思っています。今後も変わることはなく、最先端なものを134というフィルターを通しながら、楽しんで頂ければ幸いです。個人的には、カジュアルスタイルがいかに難しいかを痛感してきました。ドレススタイルに決まりはあっても、カジュアルは横に広いです。スーツスタイルは僕が思うに、日本は欧米と遜色はさほどありません。しかし、カジュアルスタイルにおいては未だに大きな差があると思っています。134のスローガンである『上質なカジュアルスタイルの提案』を自分自身も学び、一緒に成長していきたいと思います。
哲兵 寿司の本場が日本であるように、今の服の本場はイタリアです。ナポリで寿司屋を始めて成功したいのなら、日本の一流寿司屋に学ぶ必要があります。そして、日本の一流寿司屋と自身の寿司屋との距離を知る必要があるはずです。そして、我々が取り扱うシャツや、134のカジュアルウェアも無数にあるイタリアの一流ファクトリーとの差を体感しながら埋めていきたいですね。10年前のイタリアと134の差を100としたら、今は50くらいだと思っています。ドレスシャツについては、ある意味でナポリを超えている部分もありますが、超えていない部分も未だあるのも事実です。世界との差を知り、埋めていく仕事ほど楽しいものはないです。僕はそんな機会を与えてくれた鎌倉シャツ、134に出会えて幸せ者だと思っています。
Message
Buying Director Teppei Sadasue
ナポリを見て死ねという言葉があります。
美しい空、青く透きとおった海、活気のある街並み、モッツァレラやババなどの美味しい食事、そして、陽気な人々。
ナポリ人(ナポレターノ)は、ナポリの美しい海や街並みを愛し、そして家族を愛する。
ガヤガヤと楽しみながら、世界一美味しいピッツァなどのナポリ料理を食べ、カンツォーネを歌い、人生を心から謳歌しています。
134の主なアイテムは、ナポリで作られています。
新世代のナポレターノは、ナポリ仕立てと言われる伝統に裏付けされた確かな物作りをベースに、トレンドをリードし、絶妙なバランスでそれらをミックスさせています。
確かなヴィジョン、技術を持ち、人生を陽気に楽しむナポレターノが、美しい海や街並みに映えるようにと、心を込めて作った服です。
一般的に、ナポリ製の服は高額なため、なかなか手が届きませんが、134ならお値段を気にすることなく、ナポレターノが作る服に挑戦することが出来ます。
ナポリへようこそ
ナポリ仕立ての服を身につけて、いつもと違う世界の始まりです。
Buyer Ryosuke Kobayashi
今回のカタログは如何でしたでしょうか?
134にかける我々の思いが少しでも届いたら、こんな嬉しいことはありません。
134ブランドはこの10年で目まぐるしく変化してきました。
ブランド創世記に目指したこと。フレンチトラッドが正しい。日本製が正しい。
それを否定するのでなく、むしろ証明するために、様々な国に行き、様々なテイストに触れ、様々なアイテムに挑戦してきました。
まだ道半ばです。
今から10年後を想像するのは、簡単なことではありませんが、常識を疑い、臆することなく、新しいことにチャレンジしていきたいと思います。
今後とも134、鎌倉シャツを通じてファッションの楽しさ、素晴らしさをお届けできるよう精進してまいります。
オンラインショップTOP
私たちのことを知ってください。