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発祥の地・鎌倉について

源頼朝が鎌倉に幕府を開いた。
鎌倉は東、北、西の三方を山に囲まれ、南は相模湾に面しているので敵が攻めにくく自然の要塞になっているため、この地が選ばれました。
鎌倉には一度も天皇がお住まいになったことがなく、この時代に建立されたたくさんの神社仏閣は武士の精神が生かされ質実剛健、自然を大切にしたので地味で質素です。
そして、そんな鎌倉には明治時代から、鎌倉文士と言われた夏目漱石、芥川龍之介、国木田独歩、川端康成、大仏次郎など、たくさんの小説家が住んでいました。鎌倉を題材にした小説も多数あります。
  国木田独歩と立原正秋(この人も鎌倉)のこの二人は各々、同じ題名の「鎌倉夫人」という小説を書いています。内容は恋愛を描いたものですが「鎌倉夫人」という名が独り歩きしました。
庶民は、楚々として美しい和服姿の裕福な奥様を「鎌倉夫人」と呼んだそうです。ちなみに鎌倉シャツが、創業時に初めて雑誌に掲載されたタイトルは「鎌倉マダム御用達の店」でした。時が経ち、「鎌倉夫人」は「鎌倉マダム」へと変貌を遂げます。

また、鎌倉は海があるということで湘南というイメージがあるのではないでしょうか。
昔は湘南といえば鎌倉、逗子、葉山この地域一帯のことを指していました。50年代には「太陽族」が湘南の浜辺に出没します。太陽族とは、湘南が住んでいた、故 石原慎太郎氏が、当時の若者の生活を題材にした「太陽の季節」という小説から影響を受けた、若者たちのこと。
まだ日本が今のように発展していなかった時代に、太陽族はサングラスに派手なカッコして、浜辺のビーチパラソルの下で、トランジスタラジオから流れるアメリカの曲に合わせ歌い踊っていました。
湘南はこの頃から流行の最先端だったのです。

そして、60年代終わりごろ、日本で初めてサーフィンが湘南の海に登場しました。たくさんの若者がマリンスタイルでサーフィンをし、湘南出身で、育ちがよくておしゃれな若者を「湘南ボーイ」と人々は呼んでいました。
明治時代から要人の別荘がたくさんあった鎌倉は、今では横須賀線で東京まで1時間で行けるので、グリーン車で都内に通うエグゼクティブや小説家、俳優がたくさん住んでいます。そして歴史ある街の常として、1年中、観光客が絶えることがありません。近年では海外からの観光客も増えました。
多くの歴史的背景と、海や山の自然がたくさんあり、住宅地としても東京に割合近い鎌倉のような街は、日本中探してもないのではないでしょうか。

ブランド発祥の地、鎌倉は、前社長の貞末タミ子が生まれ育った土地です。
この魅力溢れる鎌倉という名前を誇りに思うとともに、鎌倉の名に恥じぬよう、「鎌倉シャツ」をこれからも大切に育んで参ります。